LT駆動開発08で活動が不定期になるHiroshima.rbについてふりかえった。
Hiroshima.rbがリアルでのイベントを中止するらしいので、Hiroshima.rbについてふりかえることにした。
結局、Hiroshima.rbなんて毎日楽しく生きられるようにするためにはじめたものらしい。
そもそも、広島Ruby勉強会からRubyっていうテーマを外しただけのものがLT駆動開発で、Hiroshima.rbの活動がなくなる。 それもどうなのかって思ったので、月に二回集まる時間をつくっただけである。 集まるだけのイベントはすごい広島があるのであり、負担になってるなら休止するだけなのである。
あと、およそ5年間の思い出を何か話したはずだが記憶にない。
まあ、なにかRubyのイベントときどきしたらいい。 私がしてもよいし、誰か別の人でもよい。
それでは、また、あした。
読む必要ないネタの解説
ネタに解説はいらない。
「生きているよりマシさ」ここ最近よく聞いている曲で、タイトルほどネガティブじゃなくて、「生きているほうがマシさ」なんじゃないかと勘違いするという話をした。実にどうでもいい。
この曲が好きな人たぶんこのフレーズが好きな人が多いでないかと思う。
君と居られたのが嬉しい
間違いだったけど嬉しい
会えないのはちょっと寂しい
誰かの君になってもいい嬉しい
解釈の仕方は自由だけど、人によっては、「君」をどんな人に当て入めても合うんじゃないだろうかなぁ。
もう絶対会えない人がいて、その人にすごく感謝していたら、自分がしてもらったことを誰かにしたい。
そんな風に感じている。 間違いだと思うのは、だいたいその人の主観による勘違いなのだけど、自覚しているのもやっぱり好きである。
何が言いたいかと言うと、「嬉しいとおもったことは連鎖したら良いな」と思う。 Hiroshima.rbに感謝している人がいるのであれば、似たようなことをする人が出てくるんじゃないかと思う。
関係はないが、「死んでいる方がマシさ」とは歌うが、「死んだ方がマシさ」なんて一言も言ってない。 そんな曖昧さに「生きたい」と思うかどうかは人それぞれなのであるような気がしているが、なんか、「だけど、生きようかな」って次の句を繋ぎたくなるのである。
まあ、目立たないように生きたいのは正直な気持ちである。(ておくれ)