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Hiroshima.rbから見たRubyKaigi 2017という奇跡

こんにちは。 「俺がHiroshima.rbだ」といっても過言ではない@eielhです。 そういえば、@jmettrauxが引き継いでしまったので、「俺が元Hiroshima.rbだ」が正しいかもしれません。 最初に書いておきますが、この記事はただのポエムである。 RubyKaigiが広島で行われたということは、PHPカンファレンス(本体)やPyCon JP(本体)、ScalaMatsuri(本体)などなどその他諸々が広島で行われる可能性だってある。もしかしたら広島以外でも開催されるかもしれない。 そういうことに繋がることを信じて、私の心境とか、心境に至る経緯を書き記しておく。 先日、我が師でもあり、弟子でもあり、ライバルでもある@NeXTSTEP2OSXがRubyKaigi (本体) が広島に来ることがいかに貴重なことかを語った。 それを踏まえて、Hiroshima.rbを始めた私にとってRubyKaigi 2017がどんなものであるのかを書きたいと思う。 私は何者なのか 2009年12月にHiroshima.rbを立ち上げ、2010年より広島でRubyに関するイベントを開催してきた人です。 2017年4月に病気の治療として補助人工心臓というものが植え込まれてしまい、大阪の病院の近くに住まないといけない状態になっています。詳細は最後に記載の別記事を参照ください。 「RubyKaigi 2017の開催を広島で」という話が出てきた頃はまだ広島に住んでいて、広島の最初のオーガナイザーとして参加しています。 しかし、3月より4ヶ月入院していたため、ほとんど名前だけのオーガナイザーです。 参考1 RubyKaigi 2017 Team 参考2 4ヶ月ほど入院してプログラマとして感じたこととか せっかくなので集客につながる活動ができればいいなと思いつつこんな記事をかいています。 Hiroshima.rbのはじまり ところで、さきほどの補助人工心臓を植え込むに至る病気が診断された頃の話をする。 それは2009年の7月でHiroshima.rbが立ち上がる数ヶ月前である。 私は25歳でした。 地方のIT事情に物足りなさを感じており、東京へ行ってみたいと思っていたりした頃です。 東京には技術的に楽しそうな勉強会がたくさん行われており、地方で生活する人間としてはとても羨ましく思うものです。 実際、多くの地方の優秀なエンジニアはどんどん東京へ行ってしまいました。 そんな頃に健康診断で心臓の機能が弱っているということを知ることになりました。 そこまで大げさ状況ではなかったのですが、なんとなくやる気は消失もして、仕事にも行かなくなっていました。 体力的にも独りで東京へ行くのも難しいです。 がんばる意味なんてあるだろうか。 その瞬間にはは特になかったのは間違いないです。 (最終的には一人で東京に遊びにいくぐらいには病気にはなれてしまうのですが) そうは言っても生きていかなければいけない。 どうせ生きていくならもっと楽しく生きていきたいと考えました。 私は少しづつ、少しづつさまざまな活動をはじめていきました。 その活動目的は「自分にとって楽しい場所」を作ることでした。 東京まで行かずとしても、自分にとって楽しい勉強会がもっとあれば良いと思ったわけです。 そこで、自分の興味があることで、最も人が集まりやすいだろうと思う「Ruby」をメインとした勉強会をするためにはじめたのがHiroshima.rbだったのです。 RubyKaigi 2017が広島で開催されるという奇跡 そんなわけでHiroshima.rbはちょっと変わっていて有名なRubyistと繋がりがあるわけでなくスタートしました。 Rubyコミュニティとしては完全に孤立していたのです。 あれから9年。そんなRuby的に孤立した広島で、今回RubyKaigiが行われるわけです。 私からすると奇跡にしか思えない出来事です。 それもそうで、広島開催に至る理由は 広島国際会議場に、たまたま僕らの希望の日程で空きがあったから 日本中探しても、そこ以外に僕らが探している条件にマッチした会場が見つからなかったから と記されています。 Hiroshima.rbの活動による影響は微塵もありません。 しかし、Hiroshima.rbが目的としたことが大きく達成できてしまいます。 オーガナイザー広島チームにすらRubyKaigi体験者はいません。 たくさんのrubyistとオフラインの繋がりもできるでしょう。 会ってみたい人もたくさんいます。 新たな出会いもあるでしょう。 そんな私の中から出てくる言葉は「うん、わけがわからない」でした。 こんな奇跡はなかなかない。 しかし、私は当日参加することはできそうにありません。なんてこった。 この奇跡をもっと活かそうぜ RubyKaigiを広島で成功させることは、今後RubyKaigiのようなテクニカルなイベントが広島で行われる可能性が高くなります。 これは広島がたいへん楽しい場所になります。 私にとってはたいへんお得です。 もし、同じようにたいへんお得だと思うのであれば、さりげなく宣伝してみたり、参加してみて国際会議の空気感を掴んでみたり、運営のノウハウを盗んだりしてみると良いと思います。 東京に行くことに比べるとたいへん低いコストで参加することができます。 素晴らしい経験になると思います。

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4ヶ月ほど入院してプログラマとして感じたこととか

毎月スライドが公開されてたブログが突然と更新されなくなって驚かれたかもしれませんが、3月20日から4ヶ月ほど病院に入院していました。 せっかくなので、入院している中で感じたことを書き下しておきたいと思います。 (しかし、この記事は書き始めて1ヶ月後に公開されたため、ある程度日常生活をした上で書かれている) 本記事を結論を述べておくと「プログラマはこんな体でも世の中に貢献できる可能性がある」と感じた。 座っていて作業できて、リモートワークできる。努力しだいでは、世界で活躍するのも可能だ。 (世界で活躍はできていないけど) ざっくり目次 一体なにがあったのか 入院中に感じたこと 入院生活で改善したいこと 今後のこと まとめ 一体何があったか 心臓の血液を全身に流すチカラが弱くなってしまった。 もともと弱くなっていることはわかっていたが、これが悪化してしまい日常生活ができなくなりました。 そこで、補助人工心臓装置を体に植え込み、装置とうまく付き合うことで日常生活が送れるようになりました。 「安静にしとけ」って言われた同じような病気がある人は本当に無理をしないことをおすすめしたい。 無理をすることは自らに大きな制約を課すのと同等だ。 (そうは言われてもどこからが無理のある範囲なのかわからへんのや) より詳しいこと 広島の病院に入院していましたが、状況が改善しないため、より高度な治療が可能な大阪の病院に転院した。 治療法としては心臓移植をしかないが、現在の移植待機中の人達が大勢いるため、移植ができるのは3年以上先の見込みである。 移植する心臓は全く足りていないようだ。 代わりに、植え込み式の補助人工心臓装置を装着することで、退院可能な状態になる。 私は4月末に人工心臓装着し、7月末にさまざまな訓練を終えて退院した。 補助人工心臓を扱える病院は広島にはないため、現在は大阪の病院の近くに住んでいます。 大阪に移動するときヘリだったんだけど、ずっと寝たままで怖かった。 ヘリで移動後は、3週間ぐらい電波禁止の病室にいて、インターネットがつかえなくてさまざまな人と連絡とれなくてつらかった。 そういえば、脳梗塞とかもおきて、片目が動かなくなった。 さすがに仕事ができなるかとおもったけど、なおった。よかった。 人工心臓装置装着後のリハビリはたいへんって脅されたけど、中学生がやっているような炎天下の部活に比べたら大したことはなかった。パソコンが使えないため、退院するためにも、リハビリに対するモチベーションはかなり高かった。 結果、リハビリでは、補助人工心臓装置装着者の中では、最速の歩行速度という称号を得ることができた。 現在の状況 いくつか制限があったり、面倒なこともありますが、ほぼ普通に生活しています。 プログラミングもしたり、でかけることもできます。 最近は4時間ぐらい継続して作業することもできるようになってきました。 より詳しいこと イベントの準備を手伝ったり、Flowで遊んだり、Rustで遊んだり、Swiftで遊んだり、Scalaで遊んだりしています。 ETAとElixir、Kotlinあたりも遊びたいですが、作るものが浮かびません。 話がそれましたが、二人暮らしで妻が妊婦なため、買い物は重いものを持つ必要があったりするのが、他の装着者には無さそうな苦労です。(車ももってないし、この辺は坂が多い) 補助人工心臓は胃の上あたりに植え込まれていて、電力供給するためのケーブルがお腹から出ています。 また、お腹から出ているケーブルには、コントローラとバッテリーが接続されていて、このコントローラとバッテリーを入れた2.5kgの鞄を常に持ち歩いています。 コントローラとバッテリーの予備も常に持つ必要があり、出かける場合は5kgほど追加で持つ必要があります。 他の装着者は介護者が持つと思いますが、なるべく自分で持つようにしたいと思っていますし、そこそこ持っています。 ケーブルが出ている部分にチカラがかからないように活動する必要があるため、しゃがんだりすることが禁止されていたり、行動が制限されています。 また、週2回ほど消毒作業をしていて1時間弱かかっています。 お風呂は入ることができず、シャワーになります。 お腹まわりをラップのようなもので保護をして、コントローラとバッテリーは保護用のカバンに入れ替えて、カバンを持ち込んでシャワーを浴びることになります。 あとは補助人工装置を扱える介護者がアラームの聞こえる範囲に必要があります。 どちらかが外に用事がある場合は、二人で必ず出かける必要があります。 お腹から鞄までのケーブルがむき出しなので、出かける際は引っ掛けないように気を付けないといけません。 人の多い場所はたいへん危険です。 残りはほとんど普通の日常かと思います。 入院中に感じたこと 看護師プロ意識 患者の命を預かってるという意識をもって仕事しているのを日々感じた。 僕らはシステム利用者のビジネスを背負って仕事できていただろうか。 気がつくと目の前のものを完成させるのに精一杯になってしまってないだろうか。 その前に大半の人が補修が少なすぎるという話はあるかもしれないけれども、そもそも独学で始めたような人達も多いし、作ることしか考えれていない場面はよくみかける。 プロ意識みたいなのは欠けていないかときどき自問自答したい。 医学すごい 医者は数値としては曖昧な反応をみて対処をしていく。 プログラムは書いたとおりにうごくので、ずっと扱いやすく発展しやすいけど、こんな曖昧な数値しかとれないものが発展しているのは本当にすごい。 曖昧ではなく、成否のはっきりするコンピュータを扱っているので、もっとうまく扱っていきたいと感じました。 入院生活で改善したいこと、改善して欲しいこと テレビカードいらないからインターネットカードが欲しい テレビとかいらないんで、インターネットさせてください。 暇なのでセミナーの動画とか見たかったです。 パソコン使わせてください パソコン使えれば、開発できるのに。