毎月スライドが公開されてたブログが突然と更新されなくなって驚かれたかもしれませんが、3月20日から4ヶ月ほど病院に入院していました。 せっかくなので、入院している中で感じたことを書き下しておきたいと思います。 (しかし、この記事は書き始めて1ヶ月後に公開されたため、ある程度日常生活をした上で書かれている)

本記事を結論を述べておくと「プログラマはこんな体でも世の中に貢献できる可能性がある」と感じた。 座っていて作業できて、リモートワークできる。努力しだいでは、世界で活躍するのも可能だ。 (世界で活躍はできていないけど)

ざっくり目次

  • 一体なにがあったのか
  • 入院中に感じたこと
  • 入院生活で改善したいこと
  • 今後のこと
  • まとめ

一体何があったか

心臓の血液を全身に流すチカラが弱くなってしまった。 もともと弱くなっていることはわかっていたが、これが悪化してしまい日常生活ができなくなりました。 そこで、補助人工心臓装置を体に植え込み、装置とうまく付き合うことで日常生活が送れるようになりました。

「安静にしとけ」って言われた同じような病気がある人は本当に無理をしないことをおすすめしたい。 無理をすることは自らに大きな制約を課すのと同等だ。

(そうは言われてもどこからが無理のある範囲なのかわからへんのや)

より詳しいこと

広島の病院に入院していましたが、状況が改善しないため、より高度な治療が可能な大阪の病院に転院した。 治療法としては心臓移植をしかないが、現在の移植待機中の人達が大勢いるため、移植ができるのは3年以上先の見込みである。 移植する心臓は全く足りていないようだ。

代わりに、植え込み式の補助人工心臓装置を装着することで、退院可能な状態になる。 私は4月末に人工心臓装着し、7月末にさまざまな訓練を終えて退院した。 補助人工心臓を扱える病院は広島にはないため、現在は大阪の病院の近くに住んでいます。

大阪に移動するときヘリだったんだけど、ずっと寝たままで怖かった。 ヘリで移動後は、3週間ぐらい電波禁止の病室にいて、インターネットがつかえなくてさまざまな人と連絡とれなくてつらかった。

そういえば、脳梗塞とかもおきて、片目が動かなくなった。 さすがに仕事ができなるかとおもったけど、なおった。よかった。

人工心臓装置装着後のリハビリはたいへんって脅されたけど、中学生がやっているような炎天下の部活に比べたら大したことはなかった。パソコンが使えないため、退院するためにも、リハビリに対するモチベーションはかなり高かった。 結果、リハビリでは、補助人工心臓装置装着者の中では、最速の歩行速度という称号を得ることができた。

現在の状況

いくつか制限があったり、面倒なこともありますが、ほぼ普通に生活しています。 プログラミングもしたり、でかけることもできます。 最近は4時間ぐらい継続して作業することもできるようになってきました。

より詳しいこと

イベントの準備を手伝ったり、Flowで遊んだり、Rustで遊んだり、Swiftで遊んだり、Scalaで遊んだりしています。 ETAとElixir、Kotlinあたりも遊びたいですが、作るものが浮かびません。

話がそれましたが、二人暮らしで妻が妊婦なため、買い物は重いものを持つ必要があったりするのが、他の装着者には無さそうな苦労です。(車ももってないし、この辺は坂が多い)

補助人工心臓は胃の上あたりに植え込まれていて、電力供給するためのケーブルがお腹から出ています。 また、お腹から出ているケーブルには、コントローラとバッテリーが接続されていて、このコントローラとバッテリーを入れた2.5kgの鞄を常に持ち歩いています。 コントローラとバッテリーの予備も常に持つ必要があり、出かける場合は5kgほど追加で持つ必要があります。 他の装着者は介護者が持つと思いますが、なるべく自分で持つようにしたいと思っていますし、そこそこ持っています。

ケーブルが出ている部分にチカラがかからないように活動する必要があるため、しゃがんだりすることが禁止されていたり、行動が制限されています。 また、週2回ほど消毒作業をしていて1時間弱かかっています。

お風呂は入ることができず、シャワーになります。 お腹まわりをラップのようなもので保護をして、コントローラとバッテリーは保護用のカバンに入れ替えて、カバンを持ち込んでシャワーを浴びることになります。

あとは補助人工装置を扱える介護者がアラームの聞こえる範囲に必要があります。 どちらかが外に用事がある場合は、二人で必ず出かける必要があります。 お腹から鞄までのケーブルがむき出しなので、出かける際は引っ掛けないように気を付けないといけません。 人の多い場所はたいへん危険です。

残りはほとんど普通の日常かと思います。

入院中に感じたこと

看護師プロ意識

患者の命を預かってるという意識をもって仕事しているのを日々感じた。 僕らはシステム利用者のビジネスを背負って仕事できていただろうか。 気がつくと目の前のものを完成させるのに精一杯になってしまってないだろうか。

その前に大半の人が補修が少なすぎるという話はあるかもしれないけれども、そもそも独学で始めたような人達も多いし、作ることしか考えれていない場面はよくみかける。 プロ意識みたいなのは欠けていないかときどき自問自答したい。

医学すごい

医者は数値としては曖昧な反応をみて対処をしていく。 プログラムは書いたとおりにうごくので、ずっと扱いやすく発展しやすいけど、こんな曖昧な数値しかとれないものが発展しているのは本当にすごい。

曖昧ではなく、成否のはっきりするコンピュータを扱っているので、もっとうまく扱っていきたいと感じました。

入院生活で改善したいこと、改善して欲しいこと

テレビカードいらないからインターネットカードが欲しい

テレビとかいらないんで、インターネットさせてください。 暇なのでセミナーの動画とか見たかったです。

パソコン使わせてください

パソコン使えれば、開発できるのに。 暇すぎてサガスカを全キャラクリアしてしまった。

もっと座って過ごせばよかった

多くの時間を寝て過ごしてましたが、座って過ごせば良かったと思ってます。 長時間座っていられるようになるまで、退院してから時間がかかりました。 退院直後は作業時間があまりとれませんでした。

長くは生きられないならそんなこと言ってられないことばかり書いてすみません。 しかし、入院していてもどこかにプルリクエストを出していたい気がする。

今後のこと

少しづつ仕事に復帰できるように仕事するつもりで家で作業してみるつもりです。

正直な話、色々な保障はあるので、仕事せずともしばらくは生活はできるけれども毎月赤字になりそうな気配である。努力を怠ることはできない。

特殊な状況下にいることを理解して、自分の立場でしか見れない視点も活かせていきながら、プログラミングは継続していこうとおもう。

そういえば、インクルーシブデザインとか流行ってきてますし、補助人工心臓を装着しているシステムにも精通した人の意見が欲しいことがもしあれば気軽にお誘いください。 負担のない範囲でお手伝いいたします。

まとめ

入院はたいへんだ。

みんな無理はするべきではない。

しかし、プログラマはこんな体でも未来のことを考えることができる。 肉体労働はとてもじゃないけどできそうにない。

なんとなくエゴサーチしてみれば、過去の記事が誰かの役に立っていたりするのをみることができる。 できることは減ってしまったけれども、できることは本当にたくさんある。

おまけ

RubyKaigi 2017には参加できそうにないので、代わりにたくさんの広島の人に参加して欲しいです。国際的で、この規模のイベントが広島で行われるのはなかなかない機会だと思います。 そして、広島のコミュニティの運営に役立ててくださるとさらに嬉しいです。

Scala関西Summit 2017にも参加が厳しそうなのなどえ、代わりに協賛しておきました。こちらはもしかすると顔ぐらいは出せるかもしれません。 行けたとしてもすぐ帰ると思いますので、偶然会えることを楽しみにしています。

そういえば、CSS Nite in HIROSHIMA, Vol.10 「ウェブ制作の今と、これから」ではインクルーシブデザインとかも扱うそうです。興味があるプログラマは何も言わなくても参加されるので、今回はちょっとピンとこないかなと言うデザイナーこそ参加すると面白い気がします。

関西で、参加できそうなものがあればきっと遊びにいくのでしばらくの間よろしくおねがいします。